4月24日
- haruichiban2023
- 4月24日
- 読了時間: 2分


母・榮子(おしげさん)が亡くなったのは2018年の1月19日でした。
その日は早朝から大阪城ホールで舞台の仕込みの仕事をしておりました。
作業の途中、珍しく風太からの着信があり、「おしげが死んだ!」と取り乱す風太の声が遠く、何を言っているのか理解できないまま、実家に向かいました。
そこからの記憶はほぼありません。
実家に帰ると、風太が警察の事情聴取を受けており、僕もその後に受けました。自宅の個室での突然死であった為、必要なのだそうです。
ですので、検死が終わるまでは母に会う事もできず、とにかく斎場の手配や、書類での手続き、周りの方への報告、もう本当に忙しないんです。
やっと会えた母は、この世で一番見たくない姿でした。声にもならない声を呻いていたと思います。風太は見る事すらできませんでした。
全てが終わった後、その年の春一番は開催すると決まっていたので、準備は進めなければいけない。でも、風太はもう常に酒に溺れているし、家から出ないしひどい状態で本番を迎えました。
それからの風太はすぐに介護が必要になり、2020年、「春一番を終わろう」と話しました。
ですが、終われなかった。
メチャクチャな時間と月日が流れ、何もできない、やるべき事すらわからなかった。
そんな中のある日、あるミュージシャンのライブDVDを風太と観ていました。最後のエンドロールで、今までこんなに泣いた事はないくらいに僕は大号泣しました。
まずは母の事、そして、亡くなっていったたくさんの先輩、友人の事を想うと涙が止まりませんでした。
風太が亡くなったのが昨年、2024年の6月10日。まだ僕は泣く事はありません。この先も泣く事はあるのだろうか。
「春一番」は、福岡家にとって、唯一の年中行事でした。
この日が来ると、いよいよ近づいてきた事を実感します。
福岡家にとっても最後の春一番がもうすぐ始まります。
風太、誕生日おめでとう。
Comentarios